重松流発祥の地 所沢

御幸町支部

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山車と御幸町囃子連
御幸町は古くは下町と言い、また五番組みとも言いました。大正の初期、古谷重松師匠の甥の伊之吉を師匠に迎え、先代達が絶やす事が無く継承して来た重松流祭囃子です。明治~大正~昭和初期頃の主だった先駆者は、根岸惣平(笛)大正12 年歿、海老沢豊雄(おかめ)大正10 年歿、三上幾太郎(太鼓)不明等で、昭和20年の終戦以降は柳沢市郎(笛)昭和19 年歿、井関勘次郎(冠り替え、藤助)昭和25年頃歿、鈴木徳郎(天狐)昭和37年歿、木下 操(太鼓)不明、安田為雄(おかめ、三番叟)平成9年歿 荻野鶴蔵(笛)不明、池田喜之助(太鼓)昭和41年歿、海老沢清(太鼓)不明、山田栄次郎(太鼓)不明、布施静一(冠り替え、藤助)平成9年歿、根岸繁二、H12年歿、肥沼宏雄(太鼓)内堀金造、中島茂利、栗原茂、佐藤正孝、鷲尾英雄、山内隆等が御幸町囃子連に携わった人達です。

まぼろしの山車

右の写真の山車は現在ある山車、推定で明治43年前に御幸町であった物である。五番とあるは下町(御幸町)時代の消防組の呼び名である。左はしの人物は安政元年生まれの鷲尾菊次郎さんと高橋某、後は不明です。御幸町の山車は昔の井筒屋、秋田伊三郎さんが山車を買って寄付をしたと言う話もあるので、故人になられた秋田祐三郎氏に色々調べてもらった所、何一つ記録が残っていないとのことでふしぎなまぼろしの山車である。この山車は現在羽村市東町が大正8年に購入し山車、盛留人形とも大切に保存されています。 

      
下の写真は現在の山車(文化財)は下町(御幸町)有志の寄付金63425銭の中より明治4312月に西多摩郡石畑村より金350円別に酒代10円にて購入したものである。
             

当時は石畑村より町内の人達により長い道のりを曳いてきたとのこと。費用が23475厘、その他、人形及び色々と修理代金285円である。今所沢に12台の山車があるが人形盛留とも立派に残って曳ける山車は他にはない。人形は三国志で有名な中国の武将関羽と周蒼(西暦200年頃)である。明治、大正、昭和、平成と時代が移り変わり御幸町の山車も長い年月を経過、長手、車輪等の破損で平成166月から2年の歳月を掛け、秩父荒木社寺設計にて約1500万円の大修繕で立派に複元した。

 

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